明治維新と神道・仏教の関係

〇神仏分離令と排仏毀釈
1867年(慶応3)年「王政復古」の大号令が下り、1868(明治1)年には「神仏分離令」が出され、事実上、神道を国教化するようになりました。

神社は仏教的要素をなくすようにされ、神社か仏教寺院かはっきり判別するようになり、「廃仏毀釈」運動が相次ぎました。これにより破壊された寺院は数万にもおよぶとされています。

中世後期以降民衆宗教として定着し、江戸中期以降には国教として優遇されてきた仏教は、明維持維新という革命的な政治体制の変革により、大迫害をうけることになります。

〇神葬祭の許可と寺請制度の廃止
神仏分離令が出された年、神職の家族にも神葬祭が許可されましたが、これを受けて、続々と神葬祭を願い出る動きになり、一般市民にまで許可されるようになりました。その結果、お寺の檀家であることをやめる人が増え、翌1871(明治4)年には戸籍法が改正されたことにより、正式に寺請制度(檀家制度)の法的根拠が無くなりました。

〇神道葬儀と神葬祭墓地
1872(明治5)年には自葬禁止の布告が出され、従来は神職は葬祭儀礼にタッチせず行われていましたが「葬儀は一切神宮僧侶に依頼すべし」とされ、神職は自由に氏子に対して葬祭を営むことができるようになりました。

しかし、神葬祭の墓地がないということで、神葬祭墓地として東京市営墓地が開設されました。青山墓地、谷中墓地、染井墓地が有名です(後年には神葬祭に限定されなくなった)。ちなみに、翌1873(明治6)年にはキリシタン禁制の高札も撤去され、キリスト教も公認されるようになりました。

〇神葬祭のその後と仏教葬
明治政府は国家神道の立場から、1882(明治15)年には官幣社・国幣社の宮司が葬祭に関与することを禁止し、府県社以下の神職だけが神葬祭に関与できるとしました。第二次世界大戦終了後に、神葬祭が完全に自由化されます。しかし、神葬祭は必ずしも大きな広がりを見せず、法的根拠はなくなったにしても檀家制度は明治政府の家制度を強化する施策の中で強い基盤を持ち続け、仏教葬は民衆の支持を受け続け今日に至っております。

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