2017年4月29日 / 最終更新日 : 2017年4月29日 artending 葬儀の歴史 民衆の自立と檀家 〇地域共同体の精神的支柱としての村惣堂 江戸時代になると、それまで村を支配していた大百姓が没落し、村は平均的な本百姓で構成されるようになってきます。こうして 大百姓の菩提寺であった寺院、道場は独立し、地域共同体の精神的な […]
2017年4月28日 / 最終更新日 : 2017年4月28日 artending 葬儀のどうして? 惣村の形成と葬祭仏教化 日本の社会は農業が主体でしたから、農業社会がどうであったかが葬儀においても重要なこととなります。 〇「近世の村」の誕生 鎌倉時代までの農民結合は有力名主層が中心でしたが、南北朝から室町時代になると弱小農民層もその結合の中 […]
2017年4月27日 / 最終更新日 : 2017年4月27日 artending なるほど!葬儀の事 在家葬法の原型 〇禅苑清規 現在の仏教葬儀は、浄土真宗系を除いて、死者に仏教の戒律を授ける受戒や引導が中心となっていますが、その儀礼の原型は禅宗(曹洞宗)にあると言われています。仏教葬儀は、インドでは火葬の際に、『無常経』をあげる程度で […]
2017年4月26日 / 最終更新日 : 2017年4月26日 artending なるほど!葬儀の事 鎌倉・室町時代の葬儀 〇「吉事次第」「吉事略儀」 成立年代はふめいながら、鎌倉時代あるいは室町時代の貴族、武士の葬儀の次第を書いたものに「吉事次第」あるいは「吉事略儀」があります。「吉事」とあるのは「凶事」を嫌って言い換えたものと言われます。 […]
2017年4月23日 / 最終更新日 : 2017年4月23日 artending 葬儀の歴史 浄土教の世界 986年、比叡山の僧侶25名が集まり「二十五三昧会」という集団を結成しました。 毎月15日に念仏三昧をし、臨終にある仲間は皆で助けて念仏させ極楽往生させようとする、浄土教の一種の死の結社でした。この中心になったのが慶滋保 […]
2017年4月22日 / 最終更新日 : 2017年4月22日 artending なるほど!葬儀の事 民間仏教の広がりと葬儀 〇私度僧、聖 奈良時代、僧侶になり出家することは官度、つまり官の許可が必要でした。許可を得ずに出家することは、私度として禁じられていました。また民間布教は禁じられたり制限されたりしましたが、「私度僧(しどそう)」が多く現 […]
2017年4月19日 / 最終更新日 : 2017年4月19日 artending 葬儀の歴史 平安時代中期の葬儀 平安時代の中期、1011年に死亡した一条天皇の葬儀の次第を整理すると次のようになります。(新谷尚記「日本人の葬儀」による) 〇臨終と納棺の次第 6月22日、危篤状態の中で上皇(=一条天皇)は時々念仏を唱えていたが、正午頃 […]
2017年4月18日 / 最終更新日 : 2017年4月18日 artending なるほど!葬儀の事 法華三昧と常行三昧 〇死者の減罪のための法華三昧 天台宗の宗祖最澄は812年、比叡山に法華三昧堂を建立し、法華三昧を日本 に初めて紹介しました。これを広めたのは、最澄門下の円仁だといわれます。 法華三昧は「法華懺法」とも言われ、法華経を読経 […]
2017年4月17日 / 最終更新日 : 2017年4月17日 artending なるほど!葬儀の事 天皇の葬儀と仏教 〇仏教葬と火葬の起源 既に7世紀前半の聖徳太子の葬儀において仏僧が関わった記録がありますが、部分的な関わりでしかありませんでした。 火葬は仏教の葬法と言われ、記録によれば700年に僧道昭のときが最初とされています。しかし […]
2017年4月16日 / 最終更新日 : 2017年4月16日 artending 葬儀の歴史 御霊信仰 鎮魂、慰霊が盛んに行われるようになるのは奈良時代の末期からです。 井上内新王の祟りによって、皇太子(後の桓武天皇)が病気になやまされたと考え、王の墓が改葬されて正式に御墓(天皇家の墓)とされました。 平安京の遷都(794 […]