2017年4月22日 / 最終更新日 : 2017年4月22日 artending なるほど!葬儀の事 民間仏教の広がりと葬儀 〇私度僧、聖 奈良時代、僧侶になり出家することは官度、つまり官の許可が必要でした。許可を得ずに出家することは、私度として禁じられていました。また民間布教は禁じられたり制限されたりしましたが、「私度僧(しどそう)」が多く現 […]
2017年4月19日 / 最終更新日 : 2017年4月19日 artending 葬儀の歴史 平安時代中期の葬儀 平安時代の中期、1011年に死亡した一条天皇の葬儀の次第を整理すると次のようになります。(新谷尚記「日本人の葬儀」による) 〇臨終と納棺の次第 6月22日、危篤状態の中で上皇(=一条天皇)は時々念仏を唱えていたが、正午頃 […]
2017年4月18日 / 最終更新日 : 2017年4月18日 artending なるほど!葬儀の事 法華三昧と常行三昧 〇死者の減罪のための法華三昧 天台宗の宗祖最澄は812年、比叡山に法華三昧堂を建立し、法華三昧を日本 に初めて紹介しました。これを広めたのは、最澄門下の円仁だといわれます。 法華三昧は「法華懺法」とも言われ、法華経を読経 […]
2017年4月17日 / 最終更新日 : 2017年4月17日 artending なるほど!葬儀の事 天皇の葬儀と仏教 〇仏教葬と火葬の起源 既に7世紀前半の聖徳太子の葬儀において仏僧が関わった記録がありますが、部分的な関わりでしかありませんでした。 火葬は仏教の葬法と言われ、記録によれば700年に僧道昭のときが最初とされています。しかし […]
2017年4月16日 / 最終更新日 : 2017年4月16日 artending 葬儀の歴史 御霊信仰 鎮魂、慰霊が盛んに行われるようになるのは奈良時代の末期からです。 井上内新王の祟りによって、皇太子(後の桓武天皇)が病気になやまされたと考え、王の墓が改葬されて正式に御墓(天皇家の墓)とされました。 平安京の遷都(794 […]
2017年4月15日 / 最終更新日 : 2017年4月15日 artending 葬儀の歴史 厚葬から薄葬へ 弥生時代には、石柱の上に平らな石を載せてその下に遺体を埋葬した「支石墓」が現れ、また遺体を納める甕棺(かめかん)が使われるようになり、墓の周辺に方形の溝をめぐらす形式の「方形周溝墓」も見られました。 3世紀頃からは円墳、 […]
2017年4月14日 / 最終更新日 : 2017年4月15日 artending 葬儀の歴史 古代の葬儀観 現代のように医師がきちんと死を判定するのとは異なり、古代においては死がいつか必ずしも特定できませんでした。ですから、死んだと認められてもすぐ遺体を処理してしまうのではなく、一定期間は「生きているかのように」扱ったのです。 […]
2017年4月13日 / 最終更新日 : 2017年4月15日 artending 葬儀の歴史 日本古代の葬送儀礼 日本古代の葬送儀礼を推測する手掛かりが「古事記」(712年)にあります。天若日子の葬儀の様子として次のように書かれています。 すなわちそこに喪屋を作りて,河雁(かわかり)を岐佐理持(きさりもち)とし、鷺(さぎ)を掃持(掃 […]
2017年4月12日 / 最終更新日 : 2017年4月12日 artending 葬儀の歴史 葬儀の起源 フランスの歴史学者ヒィリップ・アリエス(1914~1984)は『死の文化史』の冒頭で次のように書いています。 かねてより信じられていたように、人間はみずからが死にゆくことを知っており、人間が死者を埋葬する唯一の動物だと。 […]
2016年8月24日 / 最終更新日 : 2016年8月24日 artending 葬儀の歴史 喪服の黒い歴史、白い歴史 喪服の主流は「白」でした 葬儀の際に現代では黒い背広に黒いネクタイを親族側も 参列する側も着るのが当たり前になっております。 しかし、歴史を紐解くと、白い喪服が当たり前だった 時代があり、むしろ白い喪服の歴史の方が長かっ […]